「森々塾」第59回が開催されます。講師は東大・史料編纂所に所属されている杉山巌先生。テーマは「漢詩文にみる幕末・明治」です

幹事講師:杉山 巌先生
幹事:山田 洋子、南 博、柴田 光榮
開催日時平成26年10月24日(金)
午後6時から8時まで 研究会・終了後は交流会
開催場所森々庵
新潟市中央区二葉町1丁目5214の83
TEL 025-224-6588 
FAX 025-224-6587
参加費2千円
定員15名(毎回のお申込み先着順にて受付させて頂きます)
申し込みどなたでも、何時からでもご参加ができます。
開催日の3日前までにお申し込みください。
TEL025-224-6588
FAX025-224-6587
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前回の内容去る8月15日(金)「漢詩文にみる幕末・明治」第2回藤川三渓(ふじかわさんけい)と「皇国千字文」が開催されました。盆の最中(さなか)ではありましたが、12名の受講生が集まり、熱い講義に研鑽を深めました。今回もまた、詳細な講義レジメの他に、「皇国千字文解上」原本を忠実にコピーした34頁からなる立派な装丁の冊子をご恵配賜りました。これだけでも参加者にとっては超お得で大満足の講義でありました。
『千字文』とは、中国の南北朝時代に著された長編の漢詩が原典で、初学者が漢字を学ぶためのテキストとして中国のみならず日本においても広く利用された。『千字文』は書道の手本という役割をも担っており、日本で刊行された各種の千字文はその時代の書流の流行を反映した。例として、池大雅(いけのたいが)書『池大雅草書千字文』、巻菱湖(まきりょうこ)書『合体千字文』、巌谷修(いわやおさむ)書『三体千字文』などがある。これを受けて、同様に千文字の漢字で日本の歴史を叙述したのが、今回紹介された『皇国千字文』である。本講座でこれから講読するものは藤川三渓(ふじかわさんけい)が撰し、藤川の門人の矢土勝之(やつちかつゆき)が注解を加えた『皇国千字文解』をテキストとして使用する。内容は、神代から江戸初期までの日本の歴史を四字ずつの句で読んだものである。
藤川三渓は、文化13年(1816)11月24日讃岐国(香川県)に高松藩士の子として生を享けた。幼少期より学問と武道を学び26歳の時、長崎に遊学し砲術や西洋式の銃隊の訓練法などを学んだ。こうした学問の基礎の上に立って、幕末の時期は尊皇攘夷運動に尽力することになる。高松に戻った三渓は、540名の農民からなる「龍虎隊」を結成する。これは、高杉晋作の奇兵隊や坂本龍馬の海援隊などに先立つものだった。自らその隊長になり、学んだ技術により大砲を鋳造し、西洋式の銃隊として訓練を施した。しかし、こうした動きは藩当局の危険視するところとなり、三渓は獄に下され慶応4年までの6年間を獄中で過ごすことなった。『皇国千字文』はその獄中で撰述されたものである。慶応4年正月3日、戊申戦争の端緒となる鳥羽・伏見の戦いが行われた。その後の高松藩内の異変を経て正月20日、三渓は出獄を許されて藩の外交係に任じられる。その後三渓は、奥羽征討参軍となり秋田藩との交渉に当たり、10月には盛岡城の接収を担当、12月東京に戻った。戊申戦争が一段落すると、明治2年2月に福知山に赴いて儒学を教授、同年9月には現在の三重県に招かれて門人たちの教育に当たった。『皇国千字文』に注解を加えた矢土勝之はこの時の門人である。明治3年、三渓は太政官正院記録局に勤務し、自身も体験した明治維新の歴史の編纂に当たる。一方、神田佐久間町に私塾を開き、明治20年9月に「大日本水産学校」を設立し校長に就任するも5ケ月後に廃校。明治22年10月22日胃ガンのために死去した。享年74歳だった。
実は『皇国千字文』という書物はもう一種類 (内容は異なる)伝わっている。撰者は、三渓と同じ讃岐国琴平出身の日柳燕石(くさやなぎえんせき)。しかも二人は幕末の安政年間に京都で共に尊皇攘夷運動を行い、日柳も讃岐の獄に下されている。互いに入牢していた後半に、漢学の素養のある二人が獄中に会したことで作り合ったものと考えられる。
次回以降の講座では毎回、冒頭の10~20分を使って、配布テキストの藤川三渓書『皇国千字文解』を八文字ずつ読解していくことが予告されています。ますます講座らしく、わくわくドキドキの講義に期待がふくらみます。万障お繰り合わせの上、ご参加くださいますようご案内申し上げます。